2019/05/15 22:31
写真下の二つ、赤い色の着いたものはたぶん谷中の空き地で拾った「ただの石」です。
何に使ったものか、あるいは何かだったのか、、ペンキで雑に色が着いていて(黄色のものもありました)それがなんとなく面白くて、拾って来て荒いジュートで編んでペンダントにしました。
なんとなく、そもそもはこんな感じだったんじゃないかな?なんてことが頭に浮かんで。
今でこそいろんな名前がついた天然石などと呼ばれるものもつまりは「ただの石」だったんじゃないかと。
(ずっと以前、世界のあちこちへ行って、鉱物標本の採集をしている知人が「同じだよ。山に入って埋まってるのを掘って来るんだよ」と言ってたことも思い出しました)
そう、大昔、どこかで見つけた「ただの」でも「きれいな」石に何かを感じたり、あるいは何かの想いを込めて、、そういうことだったんじゃないかと。
そして上の三つはブラジル水晶とアメシスト(真ん中)です。
(右二つはリネン、左はジュートで編みました)
きれいに整えられたものでなく、ゴツゴツとした原石のままに近いような、そんなものを主に使っています。
何を使うときもその石に何か意味を見出だしたり、何かを込めたりせずに「ただの石」として。
こんなことを言うとスピリチュアルな人たちには怒られるかも知れません。
でも自分はあくまでも「ただの石」として、谷中の空き地に転がっていた石と同じに。
もちろんこれに何かを感じたり、あるいは何かを込めて使ってくれるとしたらそれはそれ、これを持つ人次第、、そんなふうでいいのだと思っています。
知人が作ったビーズやボタン、あるいは壊れてしまったアクセサリーをバラしたものなど、その都度手近にあったものを飾りに使うこともあります。(写真のものには知人が作ってくれた小さなシルバービーズを着けています)
そんな「転がる石」のペンダントです。